2006/06/26
早朝に思うこと。
「ねえねぇ、もし一回だけ戻れるとしたら何時の時代がいい?」
「私、中学のとき~!あのころが一番よかった!」
「俺は小学校のときかなぁ。めっちゃ楽しかったよ」
・・・などという会話をたまに聞くが、僕にはそういう時代が無い。
まだ30年弱しか生きていないが、人生のどこを切り取っても
顔を歪めてしまうような記憶しかない。
「楽しい」ってどういう感覚なのだろう。と真剣に考えたりする。
「もし一回だけ戻れるなら」
考えただけでもゾッとする。
あんな思いは二度と味わいたくない、という時代ばかりだから。
こと、幼少の記憶は、消す努力をしている。
幸い、基本的に頭が良くない人間なので、その努力は結構実っている。
子供のころの記憶が無くなるのは悲しいことだけれど、
悲しい記憶なら無いほうがいい。
そんなわけで、僕は以前を振り返らない。
きっと「楽しい」ことは今、以上の時代にあると思う。
この先、さまざまな人と出会い、さまざまな人と接する中で
僕はきっと人並みの「楽しさ」を感じ、ひょっとしたら「幸せ」をも
感じることがあるかもしれない。
それは「希望」であって、そう思わなくては生きていけない。
僕は高校を卒業して、5日後に社会人になったが、
それからの7年7ヶ月7日間は、殊の外辛かった。
十代後半から、二十代前半をその会社に捧げてしまったけれど
「僕は、人に縁がない・・・」
と痛感させられる時代であった。
汚い言葉で罵倒するのは好きでないため控えるが
あの時代に接した人間の多くは、今も心の底から軽蔑している。
三日に一回、いや、二日に一回は自殺を考えた。
嫌な時代であった。
・・・なのに今、そのころのことを一番夢に見る。
もう、数年経つけれど、あのころのままの風景、あのころのままの人々
変わらない業務。CADの画面。下衆共の笑い声。弱くない殺意。
僕は当時のまま作業している。それだけの夢。
ああ、嫌だ。
消えろ。
目覚めた後、どうして嫌な記憶ばかりが鮮明に蘇ってくるのか
なぜ、こういう夢ばかり見るのか、考えても仕方が無いことばかり考えて
時間を空費する。
人の記憶が数多くある戸棚に整理されているとするならば、
もっとも嫌な記憶が収納された戸棚の開き戸がもっとも緩く、
微弱な震度で、簡単に開き、中のものがこぼれて出てしまう・・・。
できることなら、その戸棚ごと焼却するか、それが無理なら
鍵を三重にも四重にもかけて、永遠に閉ざしていたい。
願わくば、これから訪れるであろう「楽しい時間」を空想し、夢に見ていたい。
そんな儚い願いが胸に込み上げる中、寂寞とした早朝の淡い光が僕に、
こんな怪文を書かせている。