2007/08/09
人は心に狂気を孕んでいる。
と思う。
胸に手を当てれば、なにかしら身に覚えがある方も多いと思う。僕のような短気者には胸に手を当てるまでもない。嫌なことをされたり、言われたりして心にイライラが溜まると、「こいつ死ねばいいのに」と思ってしまったりする。「殺してやろうかしら」と思ったりもする。実行はしたことは無い。実行してたら、たぶん、今ここに居ない。
人が人を憎む原因の一つは「価値観の違い」がある。互いが互いの価値観を押し付けあうとき、そこに諍いが起きる。争いが生じる。時に暴力が生まれる。それは個人においても国家においても同じである。
人間には、というよりも動物には「異種排斥本能」や「弱者排斥本能」というものがDNAに組み込まれているものらしい。それらと心の狂気が重なったとき、悲劇が生まれる。62年前の8月6日と9日、つまり今日、その醜さが究極の姿をもって日本を、いや人類を襲った。
中学生のころ、教室の本棚に「はだしのゲン」という漫画が置かれていて、興味から手にし、そのグロテスクな内容にかなりの衝撃を受けた。「戦争、怖い。なんて悲惨なんだ」と思った。「戦争は嫌だ。」心から思った。
毎年8月が来ると戦争についての特集がテレビで流される。戦争体験者の生々しい声が聞かれる。そして平和主義者たちが「戦争は絶対にいけない」といい、憲法9条のありがたさを滔々と語る。だが、何故戦争が起こったのか、という具体的な説明は少ない。
知り合いの学生に聞いてみた。
「日本が60年前にどこと戦争してたか知ってる?」
「えーと、アメリカ?」
「うん、そう。なんで戦争になったかわかる?」
「え~?わかんない」
聞くと、高校の歴史の授業では明治時代までしか学ばないという。こんなことでいいはずがない。
本当に平和について考えるなら、なぜ戦争になったかを知る必要がある。そしてどうすれば今後戦争を避けられるのかを考えることこそが「平和について考える」ことだろう。単に「戦争いやだ」「戦争こわい」「戦争はんたい」と言ってるだけでは戦争は避けられないし、それは「平和主義」でもなんでもなく、単なる思考停止だ。「はだしのゲン」で衝撃を受けていた中学生の時の僕と同じレベルである。
しかしテレビ報道や討論番組を見ていて思うのは、これとまさに同じレベルの自称・平和主義者が極めて多いことに驚かされる。左翼系知識人に至っては「日本はアジアを侵略して悪逆の限りを尽くした。よってアメリカによって原爆というお叱りを受けた」というような驚くべき歴史観を平然と語るし、右翼系知識人の見解は「当時アジアを侵略していた白人を追い払い、大東亜共栄圏を築こうとした日本は立派でエライ。アメリカには負けたが我々は先祖を誇りに思うべき」という論調だ。
国粋主義的な右翼の意見には嫌悪が走るが、かといって9条さえ守れば日本は未来永劫平和、という思考停止した左翼の思想にも辟易されられる。
9条を改正したら自衛隊が力をつけ、やがて軍国主義が復活し、再び戦争を起こしてしまうと考えているらしいが、その根拠を聞くと「前に一度そういう時代があったから」だと言う。ならば問うが、60年前の先進諸国において「軍国主義」でなかった国が一国でもあっただろうか?第二次大戦は人類の愚行だが、当時アングロサクソンがアジアを軒並み植民地化支配していた時代に、日本にも向けられた強烈な悪意を無視しながら平和主義を語っていられる状態ではなかった。日本も自存自衛のため、欧米列強国と同等の立場を保つためには同じように植民地を広げて国力をつけようと考えたのは自然な流れだといえる。たしかに満州事変があった。朝鮮人差別があった。軍の暴走があった。それは愚かだったといえるが、現在豊かな日本において、アメリカに守ってもらいながら「平和」な暮らしを満喫している日本人が、当時の鬼気迫る状況下に置かれた軍人たちの判断を「愚かだった」の一言で語るのも傲慢だ。なぜ、そういうことになったのかを知り、考えなければならないだろう。
学校の授業で明治までしか教えないなんてのは愚の骨頂だ。石器時代からの歴史もたしかに大切だが、現在の日本の姿を正確に知るためには、ペリー来航から第二次世界大戦終結までの約100年間こそ学ぶ必要がある。
現在の日本には、自衛隊という実質的な軍隊を所持しておきながら黙認しつつ、他国の軍国主義には目をつぶり、自国の戦争犯罪のみを執拗に追求し、自虐的な歴史観を語り、我こそは平和主義者という顔をする知識人が多いが、こういう偽善者を僕は最も嫌悪する。なんら「建設的」でもないし、「消極的」なだけだし、そもそも「平和」のために役に立たない思考だからだ。
現在、日本が「平和」でいられているのは残念ながら9条があるからでは無い。自衛隊の日々の訓練のお陰であり、日米同盟におけるアメリカの「核の傘」のお陰である。「戦争を放棄しています」と憲法にうたえば、「ああ、そうですか。じゃあ戦争しかけるのやめます」と他国が思うほど、国際情勢は甘くも無いし単純でも無い。
非核三原則を国是としながらも、広島・長崎に悪魔の兵器を投下した当のアメリカの、その当の核兵器に守られて「平和」な状態を保持する矛盾した国、日本・・・どうやらこれが今のこの国の姿のようである。
今の日本の歪な「平和」の実態を知り、人類が目指すべき真の平和について考えることは重要である。それはヒステリックに「戦争反対」を叫び思考停止することとは全く異なる。まずは「知り」、「学び」、「思考する」必要があるのだ。
人は心に狂気を孕んでいる。
まずは、そんな自分の心を見つめるところから。