2007/12/22
三日前、非通知の着信が携帯を震わせました。取るといつものSディレクターの声。
「あ、榎本さん今東京?朝ズバッの忘年会来れるかな?
三時間後なんだけど」
「はーい、いけますよ~」
と即答したものの、
三時間後ってすごいなと思いながら作業の手をやめて仕事のスケジュールを頭の中で組みなおしてました。今から二時間でここまで進めて帰ってそこまでやったら締め切りに影響ないか・・・等。
作業ピッチを上げて、二時間後には赤坂に向かう電車の中に居ました。
二つ前の日記には妙なこと書いた僕ですが、もともと飲み会は大好きなのです。ウキウキしながら目的の店に到着。店に入るなり「おお!榎本さんようこそ!(メンバーに向かって)
榎本さん入りまーす!」おおお~パチパチパチ、と拍手。しょっぱなから皆さんテンション高いご様子です。何名か以前に直接会ってお世話になっている人たちがいらっしゃったのでご挨拶。じきに乾杯の音頭となり、宴が開かれました。
いや、もう、びっくり。
司会進行の二人組の方が「朝ズバッ!」のテーマ曲に合わせて登場し、珍妙で愉快な掛け合いをしながら視聴率ランキングなど様々なイベントをこなしていき、まったく退屈することなく会は進行しました。その喋りの立て板に水っぷりと言ったら驚愕するばかりで、プロのアナウンサーの方かなぁと思っていたら、後で本人に聞けばディレクターの方とのことで「昔からしゃべるの好きなんスよ」とニッコリ。いやもう見事でした。別にアナウンサーの方もいらっしゃり、やはりしゃべりは見事でした。「こないだのブラピそっくりでしたよ!」と僕の絵をとても褒めてくださり、似顔絵が得意ではない僕には嬉しい言葉でした。
二次会はカラオケでしたが、もっとも印象的なのがプロデューサーの方の「時代おくれ」。言わずと知れた河島英五の名曲です。詩がいいですね。ここに書きたいところですがそれは出来ないのでご存知で無いかたは
コチラをご覧ください。僕もこういう男になりたいと思います。
若いスタッフの女の人に笑顔で「君らも付き合うならばこういう男を選びなさい」と語っていたのも首肯できるいい風景でした。取引先だからといって媚を売るつもりは全く無いのですが、そのプロデューサーの方が実に格好よい人でして、50代の方なのですがユーモアとウィットを柔軟に理解していて、外観もスマートでウエストにはメタボの気配すらない。そうして好きな歌は「時代おくれ」という、なんというか「こういう人が現実にいるのだなぁ」と思うくらい格好いい方でした。スケッチブックを持参していたので、カラオケで歌っているところをサラサラと描いてみたら、周りの方に大ウケしまして、本人にも観てもらったら予想外に喜んでくださって、「是非ください」というのでその場で差し上げました。
今思えば周りの人には媚を売ってるように見えたのかもしれないと思わなくもないですが、そのときの僕には自然な行為でした。僕にもマイクが回ってきて、コブクロの「蕾」を歌うと、お世話になってる皆さんや他の方々から拍手やエールをたくさんもらって嬉しかったです。
16時から始まった宴も23時に終焉を迎えます。三次会は電車の都合で参加しませんでした。
いろいろ書きましたが、来てよかったなぁ~・・・・と一番心から思ったのは、Yディレクターに直接会って謝れたこと。前回仕事のご依頼を頂いた時、大阪地裁での裁判を傍聴することになっていたのですが、こともあろうに
僕が寝坊してしまい、代わりの絵描きさんを手配するのに右往左往させてしまったことがあって、電話やメールで謝っていたものの、やはり直接会って謝罪できたのが良かったです。
「ははは、まあ一回くらいありますよそういうことも」
と、笑ってくれていたので、この一ヶ月半、ずっと心に重く圧し掛かっていた自責の念がゆるやかに溶けていくのを実感しました。それで許されたわけではないけれど、当時感じた「もう僕は干されるのではないか」等の恐怖はとりあえず無くなりました。二度と繰り返さないための
最終兵器も購入しましたし、少しずつ失った信用を取り戻していきたいと思います。

そんな感じの忘年会でした。明日の朝には和歌山の予定なので、これが今年の東京最後の忘年会になりました。数十人の大人数の会で「楽しく過ごせた」というのも僕の中で大きかったです。以上、とある忘年会参加記録でした。