2009/02/21
【エッセイ】とんぺい焼きと老人

南口徒歩5分のマンションに住む僕が、あえて駅前数多くある居酒屋を越え、北口の居酒屋へと足を運んだのには理由があるのだが、ただ単にホットペッパーでこの店のとんぺい焼き(通常価格650円)が、今月に限り10円で販売、というクーポンの売り文句に惹かれたというだけの、さもしさに他ならぬ理由なので、もったいぶって話すほどのことでもない。
「いらっしゃい!すみません、今カウンターしか開いてないんスけど!いいっすか?!」
元気のいい店員の声と、盛り上がりを見せる客の声が頬和する店内に僕はいきなり圧倒された。外観のこじんまりとした印象からは想像できない店の明るい雰囲気。カウンター席に10人、4人がけのテーブル席が4つほどならんだ、ささやかな店内だが、それ故家庭的な空気を感じる。やや酔っ払いの声が喧しいが、悪くないと思った。
メニューを見てビールを注文。いきなりとんぺい焼きを頼んではいかにも「それが目的」だ。ここは慎重に「マグロとアボガドのわさび醤油和え」あたりが無難だ。あとは本日お勧めの「牛レバ刺し」にも食指が伸びる。僕はカウンター越しの店員に注文した。
「ぎゃはははは!!そんでようっ俺がようっあの時ようっ!!ぎゃははは!」
背後にいる団体が五月蝿い。若者たちは元気がいいなまったく、と思いふと振り返ると中年の集まりだった。同窓会か何かであろうか。異様な盛り上がりを見せている。
狭い店内の壁に掛けられた大型スクリーンには、いかりや長介が志村けんの頭をはたいている。だが、ドリフの音声は中年たちのはしゃぎ声でかき消されていた。まあ、この空気にもすぐなれるだろう。そう思ったとき、
「お兄さん・・・」
ビールジョッキを置いた僕に、一席あけて座っていたスーツ姿の老人が話しかけてきた。当然、知らない顔だ。白髪でグレーの頭髪。顔が赤く、目がたれている。一見して三國連太郎を彷彿させる紳士だが、ひどく酩酊しているように見える。
「あ、はい?」
「お兄さん、私ぁさっきからお兄さんのことみてたけどね・・・」
「あ、はい・・」
「いや~・・・あんたいい男だ!目をみてわかった!」
「あ、はあ・・・そうですか。どうもありがとうございます」
・・・こんな経験は初めてである。
「私ぁこう見えても、公務員をしてましてね・・・いろんな人間をみてきたから、大抵の人間は一目でわかるんだ」
こう見えても、というが、初見の僕にはむしろ公務員に見えた。老人の話は続く。
「あんたの目は、できる男の目だ。あんたサラリーマンじゃないだろ?」
アタリである。
「はい、違います。自営業をしてます」
「あんたの目は起業家の目だ・・・俺も起業家だからわかるんだ」
起業家ではない。が、たしかに法人化をこのごろは考え始めているから、当たらずとも遠からじである。しかし、この老人、早速さっきの発言と矛盾している。
「え、公務員じゃなかったんですか」
「いや、公務員だったんだよ・・・もう定年になって、今63だから、3年前か。それから起業したんだ」
「はあ、そうですか」
「俺は仕事のできる人間なんだ。事業もうまくいってるんだ」
「このご時世にうらやましいですね」
「いっとくけどなぁ・・・武蔵野市長に意見できるのは、いまだに俺だけなんだ!OBの俺に若いやつらが頼ってくるんだよ。俺は若いやつらをかわいがってやってたからな・・・若いのに厳しい大人が多いが、ありゃあ馬鹿だ。若いのはかわいがらなきゃいけない。俺はその辺よくわかってたから、未だに慕われてるんだよ」
人がよさそうに見えるから、嘘ではないかもしれない。が、たった今一人カウンター席で飲んでる老人に言われても説得力が心許ない。
「はあ、そうですか。お優しい上司をされてたんでふね」
アボガドを頬張りながら答える僕。話を聞きながらとんぺい焼きの注文のタイミングを計っていたが、カウンターに人がいない。通りかかった若い店員を呼びとめ、
「すみません、とんぺい焼きひとつ」
「はーい!ご注文いただきました!とんぺい焼きー!」
原因不明の不安に襲われた僕は、去りかけた店員をさらに呼びとめ、
「あの、これもってるんですけど、とんぺい焼きって10円になりますよね?」
「あ、はーい。今月のサービス品なんですよー。クーポンお預かりしまーす」
クーポンってすばらしいシステムだと思うのだが、提出するときなぜかこっ恥ずかしい。僕だけだろうか。この羞恥を味わうくらいなら、通常価格で快く飲んだほうがいいのではないかとさえ思われるときがある。ああ、しかし何故僕は今確認したのだろう。恥ずかしい。赤面してはいないだろうか。穴があったら入りたい。
老人は、尚も僕につぶやく。
「だからね、若い人は大切にしなきゃいけないんだよ。お兄さんもね、できる男だから、いずれは若いのを従えることになる。そのときにね、これだけは忘れないでほしいねぇ」
「はあ、参考になります」
果たしてそんな日が来るだろうか。こない気がする。僕は徒党を組みたくない。一人でいたい。一人でモノを作っていたい。法人化を検討しているのは、社会的な責任と信頼、それに節税のためだ。団体になり、組織化して、人間関係に悩みながらクリエイトするのはごめんだ。
「この店のね、若い子ふたりいるでしょ。彼らもいい男たちでねぇ」
「はあ、そうですねぇ」
たしかに若い店員が元気よく働いているので、仕事振りを見ているだけで心地よい。
「だが、小物だ。つまんねえやつらだ」
「はあ・・・?」
えーーー?!人を上げたり落としたり、忙しいじいさんだな。
「お兄さん、結婚はしてないの?もうそういう歳でしょ?」
「はあ・・・。まだです」
「だめだよーー!!結婚は早くしないと!!」
うるさいほっとけ。
「お兄さん、いい男なんだからすぐできるって!今すぐしなさい!!」
バンバンと肩をたたきにくる。間に一席あいていたはずなのに、いつの間にか隣に移動してきている。肩をたたく力が予想外に強い。あの、ちょっと、痛いんですけど。
「結婚はねぇ、早くしたほうがいい。結婚してない男なんて信用されないよ?」
そんな話はよく聞くけれど、僕はもっと違うところで信用されたい。
「で・・・お兄さん、仕事なにやってんの?」
「イラストレーターしてます」
「なにそれ?」
「絵を描く仕事です」
「へーえ。で、何、会社員してんの?」
ああ、こうして酔っ払いとの会話は堂々巡りになるんだろうか。
「いえ、自営業で。フリーランスでやってます」
「カーーーーーーー!!!!フリーランスなんてダメだよーー!!!!お兄さん、それじゃ収入不安定じゃん!結婚できないよ!!!フリーランスはないよーーー!!!」
「はぁ・・・」
老人の声がでかい。五月蝿い中年たちを抜いて店内に響き渡らんばかりの勢いだ。何かを察した店員がいつの間にか僕のそばにきて、申し訳なさそうに耳元でつぶやく。
「お客さん・・・すみませんね・・・大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫ですよ」
と、作り笑いの僕。すかさずとんぺい焼きの残りを平らげる。
「いや・・・あのね・・・ごめん、言い過ぎた。お兄さん、怒ってない?」
「大丈夫です」
「お兄さん、ごめん、俺トイレいってくるわ・・・」
そう言ってカウンターを立つ老人は、思ったより小柄な人だった。
食事を終えた僕も同じく席を立った。
レジで清算していると、背後に立った老人がまた話しかけてくる。
「へへ・・・トイレあいてなかった」
「お先に失礼します。楽しかったです」
「おう、ありがとな。ほんとごめんね」
「いえ・・・」
そう謝られると、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになってくるから不思議だ。きっと、悪い人ではないのだろう。
店を一歩出るとびゅうと寒風が頬を刺す。火照った顔に心地よい。
徒歩で三鷹駅に向かいながら、フリーランスと告げたあとの老人のものすごい拒絶反応を思い出していた。長らく公務員を務めた老人からすると、フリーランス=収入不安定という図式が脳裏に焼きついているのかもしれない。今、僕はフリーランスで生きていけている。しかし、これがいつまで続くのか?違った形になることはあるのか?この先になにがあるのか?
答えは、まだ無い。
なんてことのない、残寒肌を刺す夜のお話。