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【日記】自炊(らしきこと)はじめました。


今月はグアムでちょっと散財しすぎたので(空港のお茶が4ドルとかするんだもん・・・高いよ)、少しは節約しようと外食の数を極端に減らし、柄にもなく自炊らしきことを始めてみたらこれが意外と楽しく、今日などは朝、昼、晩と全部自分で賄いました。お茶碗より重いものを持ったことがなく、フライパンを持ったら骨が折れるというレベルの僕には、とても画期的なことなのであります。

今までは、「自炊?うん、たまにはしてるよ」と言っていたものの、所詮はレトルトカレーやレトルトどんぶりにレトルト味噌汁といった具合だったのですが、「フライパンにサラダ油をひく」という超絶進歩的な技術を習得した今の僕では、そんなものでは満足しなくなり、上記写真のような 質素 高級料理を創り出すに至ったわけでした。

ちなみに写真のメニューは

 ・ごはん
 ・ぶた肉を焼肉のたれと塩コショウでいためたもの
 ・だし巻き(たまご二個分)
 ・キャベツとトマトのサラダ
 ・長ネギの味噌汁

です。近くの東急ストアでぶた肉のセールをしていたので、なんとなく作ってみた次第です。100円均一で買ったチェックのランチョンマットがお気に入りだったりします。あるとないとで気分が違うものですね。使ってない方がいたら、オススメします。

武蔵小金井の時代はキッチンが小さくて、どうもやる気がおきなかったのですが、この三鷹事務所ではやや広くなったので、なんとなくやる気になってきたというのも大きいです。三鷹のキッチン、三方レンガつくりになってるのがいい雰囲気で、少しづつモノをそろえているとそれっぽくなってきました。最初はコンロもなかったのですが。
あと、武蔵小金井では水道水はとても飲めたものではなく、お米を炊くのもミネラルウォーターだったのですが、どういうわけか三鷹に来てからお水がとっても美味しいのです。普通にコップに入れてぐびぐび飲めるのですよ。単純に地域の差というよりは、なにか複合的な理由がありそうですが、これには助かりました。晩酌タイムの焼酎水割りも、焼酎を入れて水道水でジャー、で準備完了という手軽さです。何より重い水を買わなくていい。そういえば自炊すると食費が3分の1になることも判明しました。毎日外食、というのがどれほど馬鹿な選択だったのかというのが数字で叩き出されたわけですね。

クックパットなんかも便利ですね。簡単そうにつくれて、安くあがりそうなレシピをプリントアウトしてはクリアファイルにまとめていたりしています。今後なにか変わったものを作ったらアップしようかと考えています。

とかいいながら三日坊主の危険も無きにしもあらずなんですけど。

また松屋通いの日々に戻って、三鷹駅前あたりで「トンテキうめぇ!」とか言いながらがつがつ肉に食らいつく僕を見かけても、声はかけないでやってください。


あと、もひとつ発見した意外な事実。
僕、結構温水でゆるゆる洗い物するの好きかも。


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【日記】西武球場の見学にいってきました。


WBCの興奮さめやらぬ26日、奇しくも縁あって埼玉西武ライオンズの本拠地、所沢にある西武球場へと足を運びました。今回、球場内部および球場前広場のリニューアルに伴い、パンフレットやweb用のイラストマップを西武さんから依頼されておりまして、今回のリニューアル後初のプレス発表にご招待いただいた次第です。
この依頼をうけてから4度目の西武球場訪問ですが、かなりキレイになっていてびっくり。駅前広場の色彩が統一されていてとてもスタイリッシュにリフォームされていました。
内部もかなりキレイ。選手が既に練習されていて、そのド迫力に圧倒されました。

普段テレビで見ていてもわからないのですが、プロ野球選手が投げたボールがミットに当たるとき、「スパアーーーーン!!」と球場中に響く轟音が鳴ります。バットに当たる音もすごい。球場中にエコーが鳴り響きます。素人ではこうはいかないでしょう。この迫力は生でみなければわかりませんね。野球音痴の僕にも球場に足を運ぶ方々の気持ちがわかった気がしました。
あと、選手がみんなみんなすんごい身体してます。あたりまえですけど、絶対横に並びたくないな、と動物的本能が訴えるレベルでガタイがごっつく、1対1で喧嘩なんかしようものなら1秒立ってられる自信がないというか、「絶対この人たちつえぇ!」といいきれる猛者ぞろい。まあ、その、あたりまえなんでしょうけれど、初めてみるとその衝撃が強かったのでした。

WBCから凱旋帰国が報じられた次の日だったにもかかわらず、中島選手、片岡選手ともに元気に練習にふけってました。タフですね。(これもあたりまえですね)
朝早く、僕とデザイン事務所の方と、西武の方とで見学していたのですが、ずいぶん見てからぞろぞろと記者の方が入ってこられました。ひょっとして一番のりだったのかもしれません。翌日のスポーツ新聞はチェックしていないのですが、西武の方は「WBCと陣内に話題ぜんぶもってかれちゃいましたよ、ハハ」と苦笑されてました。

西武球場には人工スキー場なども併設されていて、特別に見学させていただきました。球場にスキー場があるのが不思議な感じです。あと、関係者以外は入れない記者会見場や、優勝したときのビールかけの部屋まで案内していただきました。もともと野球とその周りの環境に疎い僕には、ただただ、「へえ~~」「おお~~」というマヌケな感嘆の声をあげるばかり。きっと、ファンならとってもうれしいイベントだったのでしょうね。

さて、写真も数百枚撮って、インプット完了。これから事務所でアウトプットです。今月中にしあげねば。
完成して、許可をもらったらこのブログでも紹介したいと思います。


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【日記】吉祥寺のしましまハウスとWBCのこと。


昨日、自転車で井の頭公園に行き、桜の開花具合などを視察しつつ、吉祥寺駅南口付近を散策していますと、不意に、

「そういえば例の漫画家さんちはこの近くなのではなかろうか」

と思い立ち、ぶらり自転車を走らせて住宅街をふらふらしていたら、小雨がぱらぱらと降ってきました。傘もってません。トレードマークの赤と白のストライプがそのまま住宅に反映されているあの建物はきっと目に飛び込んでくるに違いないと思い、あきらめずに雨に濡れながら、なんの情報も無くアテも無く彷徨っていたのですが、いやーモノは試しですね。みつかりました。しましまハウス。

テレビで近隣住民にボロカス言われてたかわいそうなイメージがあったのですが、実物を目の当たりにすると、素敵ですよこのおうち。決して下品などではない色のセンス。テラスも気品があり、ポストが円筒型というあたりもにくい。こういう家がご近所にあったら楽しいだろうな、と思いますね、僕ならば。

しかし、このあたりは高級住宅街というやつでしょうか。立派すぎる家々が立ち並ぶ空間に長居すると無駄に劣等感を刺激される気がするので、記念にカメラに収めてすぐ立ち去りました。(ミーハー根性丸出し)

そういえば今の三鷹事務所を探す際、不動産屋のおじさんにいろんな物件を案内してもらっていると、こういう高級住宅街を車で抜けていくことがあって、その際に何気なく、

「どういう人がこういう家に住んでるんでしょうねぇ・・・」

とつぶやくと、そのおじさん顔を歪めてこう即答したのを思い出しました。


「そんなの悪いことしてるやつらに決まってるじゃないですか榎本さ~ん」


き、決め付けですか不動産屋さん・・・。
帰りにパンケーキデイズに行って軽くランチしてきました。
ホットケーキでサンドされた斬新なハンバーガーは、その食感が新鮮ですし、惜しみなくつめられた豊富な具材は、大きく頬張った後の口腔内を幸せにしてくれます。ハンバーグの大きいこと!
見た目もスマイリーな焦げ目がかわいらしいですね。
食後の正直な感想を言うならば、「おいしかったー。けど、ホットケーキじゃなくて普通にパンのバンズだったほうがもっとよかったかも」 でした。(←台無し)


そうそう、WBC。ホリエモンが出現した当時のドタバタで、プロ野球が12球団あることを知ったレベルのスポーツ音痴な僕ですが、今日の決勝日韓戦は見入ってしまいました。

3時から飯田橋で打ち合わせがあったので、ちょうど9回表あたりで家を出たのですが、続きは電車の中でワンセグで見てました。ビバワンセグ。
3対2の9回裏で韓国が1点を返し、延長10回でツーアウトランナー2塁3塁の大舞台でイチローがバッターボックスに入ったときは、柄にも無くわくわくしてしまい、何度目かのファーボールを経験したのち、放ったセンター前ヒットでは、思わず笑いを我慢できませんでした。すごい!まるで構成作家の筋書きのようなドラマチックな展開に興奮を隠し切れず、ふと周りを見渡すと頭の剥げた50代後半とみられる男性が同じくアンテナを立てた携帯を片手に笑ってました。なんか和みました。
5対3。さあ、日本、まだまだ攻撃するか?というシーンでイチローの背中を映した携帯がストップ。電車が中野を超えたところでした。中央線でも総武線でもよかったのに、どうして今日に限って東西線に乗ったのかと心底後悔しました。(※東西線は中野から地下鉄になります)

飯田橋に着き、あわてて地上に出ようとあせるも、尿意差し迫り、トイレを探すこと3分。用をすませモバイルスイカで改札を抜けようにも残高足らずでひっかかり。EZwebでチャージを試みること5分。優勝のあの瞬間、会場が一体感につつまれるあの幸せな空気をモニタ越しにでも味わいたくてテレビに張り付いていたのに、なかなか見れない!

やっと出口の階段を上がり、地上に出てワンセグをつけると、「今回で二度目の優勝は・・・」と解説の声。見そびれた・・・。と肩を落としましたが、会場も、選手も、司会者も、そしてこの優勝を同時に日本全国で味わい笑顔になってる人たちを思うと、少しだけ幸せな気分になれたのでした。

ああしかし、僕が野球語ってるなんて、超めずらしい。


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【エッセイ】会話するということ


▲Philipe Hone 19世紀のNY市長。日テレ「ラジかるッ」用に作成したイラスト。(本文に関係無し)


人と会話をしていると、たまに相手が発した一言二言に、

「あれ、今この人僕のこと馬鹿にしたのかな?」

と漠然と感じることがあり、特に気にせず笑って過ごしていると、やっぱり後からさっきの一言がボディーブローのようにじわじわ腹に聞いてきて、ちょっと確認してやろうかという気になるものの、話題も変わって聞くに聞けず、やっぱりヘラヘラ笑って相手のペースに合わせている、ということが良くある気がする。

家に帰ったあと、何度も何度も脳内でその一言がリフレインし、ああ、やっぱり僕はあの人にコケにされたのだと確信めいたものを感じ、半ば憤り、半ば情けなく、ああいってかわせばよかった、とか、こういって反論すればよかった、などと後の祭りのように考えて、一人くやし涙を我慢する。

そうして考えるのは、前にもこんなことがあったな・・・という反省すべき羞恥の歴史であり、あの時もこう言い返してやればよかったとか、これは言うべきじゃなかったとか、伝え方が完全に間違っていたとか、こういえばこう誤解されるということを何故口を開く前に認識できなかったのだろうとか、逆に相手の言葉を完全に誤解していて素っ頓狂な返答をしてしまい後で赤面したことや、どうしてこの言葉が相手を傷つけるとわからなかったのだろうといった封印しておきたい過去の記憶が、とりとめもなくどんどん蘇ってきては、うわあ!と叫んで走り出したくなる気持ちをぐっと抑えるのである。

無限とも思える自責の念が心に蓄積していくと、仕舞いには、あんな言い方しなくたっていいじゃないかあの野郎とか、人にこんなこと言えるのならあの人自分はよほどの聖人君子だと思ってやがるんだろうな・・・などなど、知らずしらずに攻撃対象が他者へと移動しているのに気づかされる。だが、口汚く人を誹るその自分の姿は、きっと第三者から見て醜いことだろうと考えると、結局行き着くところは自分の器の小ささであり、自分の無能さに他ならず、結局自己嫌悪に枕を濡らす羽目になるのだ。

どうして過去から反省し、それを教訓とできないのか?

いや、正確には少しはできているのかもしれない。以前の僕ならばこういう時にこういう言い方はできなかった、ああ言って相手を怒らせていたかもしれない、などと思うことも、無いことも無い。
だた、効率が悪すぎるのだ。10失敗して1学ぶ、ならまだしも、1000失敗してやっと学び得た1つもどこか心許なく、自信が無いといった有様では、今後も同じことを繰り返してしまうに違いない。

一切馬鹿にされたくはない、と思っているわけではない。僕という人間はあまり利口でないのは百も承知しているのだから、人から馬鹿にされることもあるだろう。けれども、そのときに後々悔やまれるような心の対応をしたくない。それは、気の利いた反撃を試みて、嫌味たっぷりに相手を言い負かしたいだとか、その結果相手と喧嘩になり、行く行く疎遠になっても、それでも我を通して言いたいことは言うのだ、とかそういうことでは無く、もっと広く受け入れるというか、微笑もて正義を成す、というか、要するに、「そんなこと気にしない」と思える人間に、僕になりたい。

そんなことをぐるぐる無限ループのように考えて、仕事中、食事中、排便中、テレビ視聴中、寝る間際、飽きもせずにぐるぐる同じことばかりを考えて、けれども記憶力が悪いからか、そもそも頭脳の出来が悪いからか、次に人に会うときには雲散霧消。あれほど考えた反省教訓も一切消え失せ、また同じ歴史を繰り返す・・・。



・・・以上が、僕の生活における「会話する」ということらしい。

含羞の歴史をもうずいぶんと重ねてきたのだから、そろそろ少しはマシな人間になりたい。そう思って今思うことを書き残しておこうと思う。

少なくとも、10、いや5年後には、この文章を鼻で笑い飛ばしたい。



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【日記】ぶらりグアムにいってきました。


まだ東京も寒かった3月10日、成田空港からグアムへと旅立ちました。

グアムといえば言わずと知れたリゾートアイランド。
チャモロ人がマレーシアやフィリピンからカヌーで移住してから4500年くらい経った16世紀にポルトガルの探検家マゼランの上陸によってヨーロッパ人の知るところとなり、スペインの植民地となったものの100年くらい前の米西戦争によってアメリカにぶん捕られた島。現在の主な産業は観光だけれど、その収入の9割以上がジャパンマネーという日本への依存っぷりが豪快な島でもあります。

が、僕は観光ではなく、イラストレーターとして取材旅行に来たのでした。

なんの取材かと申しますと、えーと、それはあれです。南洋植物の観察とか、海洋生物の生態調査、南国の色彩の見学にチャモロ文化への接触、ほかにはほかにはえーとえーと、チャモロ料理の試食や日米におけるハンバーガーサイズの相違などなど・・・あ、あとは南国の海水浴が人間の精神に与える影響とか、ハンモックの快適性の実体験など、実にさまざまな取材を試みた旅行だったのでした。

こういうことが絵を描くうえで大切なのですよエッヘン。(堂々と)
他には怪しげなネオン街に佇む実弾射撃場にて38口径をぶっぱなしてみたり(全弾命中。イェイ)、ヘルメットをかぶって海底を歩き回るシーウォーカーを経験してみたり。どうも話をきくと日本の免許証で自動車運転ができるらしいとのことなので、レンタカーを借りて島を一周してみたり。左ハンドルで右側走行するは最初戸惑ったものの、30分で慣れました。道路標識が全然ないので見逃してしまった観光スポットもいくつかあったのですが、面積的には淡路島と変わらないほどなので1日で十分まわりきれました。海賊が作った村として有名なジェフパイレーツコーブにも足を運び、ほんまもんの海賊ジェフさんにも会ってきました。ここのチーズバーガーばかうまです。

それにしても海も空も、本当に美しい。写真やテレビで見るのとは全然違いますね。まさに百聞は一見にしかずです。気候も暑すぎることなく、蚊などの不快な虫たちにも出逢わず、心の洗濯にちょうどいいバカンs・・・いや取材旅行でした。
帰ってきたのが13日夜。さぞ日本は寒いだろうと思いきや意外と暖かくて拍子抜けしました。暦では春ですもんね。しかし数日でずいぶん暖かくなったのですね。
次は日本が暑くなったころにウラジオストックあたりに出かけようかと画策中です。

けど、その前に片付けておかなければならない問題が山積。
プライベートでは背骨が折れるほどの荷物を背負ってるので、帰国後はかなり気が重く、自分の努力や熱意ではどうしようもない現実を前にしては、心をまだ見ぬ土地へと向かわせているのだと思います。
はやく全部解決しますように。


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【エッセイ】インドカレーと忘れ物


外出から帰宅すると、きまってポストの中はチラシの山だ。鷲掴みにしてポスト脇のゴミ箱の前に立つ。一枚一枚、自分にとって有用か不要か見極めながら不要チラシを捨てていると、ふとはがきサイズの黄色いチラシが目にはいった。「インドラ三鷹南口店」と書かれている。インドラとはわりと近所にある、本場シェフによる本格インド料理が食べれる店だ。一度ランチセットを頼んだことがある。ナンとカレー、小さいサラダと少量の黄色ライスにラッシーがついて800円とお手ごろだった。しかもこのチラシを持参すると100円引きと書かれている。

やや驚いたのはナンの大きさ(約50cm)だったが、もっと僕を喜ばせたのは食後のラッシーのうまさだった。ラッシーという飲み物を数年前、和歌山で初めて飲んだときの感想は、「なにこの水混ぜる割合まちがえた濃厚カルピス・・・」だったのだが、慣れればなかなかイケる。しかしインドラのラッシーのうまさはその想像を超えたところにあった。あのクリーミーな口ざわりに決して主張しすぎないあのほどよい甘さ。僕は小さいチラシをみながらランチセットを頼んだ際に口にした、あのラッシーを飲み終えた後の恍惚さを思い出していた。そして思った。

「あれをまた飲みたい!」

今夜の夕食はきまった。夜8時過ぎ、空腹を抱えた僕は再び家のドアを開け、鍵をかけ、それをコートのポケットに入れて階段を下りた。目的地はインドラ、我が家から約300mほど東方にあるインド料理屋だ。意気揚々と徒歩で向かう。口の中はすっかりインドカレーを受け入れる準備万端、今夜はそれ以外のメシなど考えられねぇぜと言わんばかりの心意気でインドラのドアを開く。

「イラシャイマセー」

インド人ウェイターの声が広いとはいえない店内に響く。先客が二人。あとはガランとした店内に、天井ちかく設置されたテレビがバラエティー特有の笑い声を発していた。まあ、平日だし、こんなもんかと思い、入り口近くの席に着くと、まもなくウェイターがお冷を持ってきた。

全然関係ないが、食事の前に出るこの水のことを「お冷」というのにはこんな変わった由来があるらしい。
文明開化の明治時代、外国人むけの西洋料理屋が日本にたくさん開店し、客として入ってきたイギリス人たちが給仕に向かって「Look here!(おーい、の意)」と呼ぶと、給仕が水を持って注文を聞きにくるというシステムを目の当たりにした日本人がそのまねをして、「ヒヤ(here)おくれ」というようになり、それに丁寧語の「お」をつけて「お冷」という呼び方が東京を中心に全国に広がったという話。、意外にも舶来モノの呼び方でしたというオチである。・・・ホントかどうかは神のみぞ知る、だが。

お冷を置いたウェイターに注文を言う。ディナーセットはランチと違って二種類カレーが選べるらしい。僕は野菜カレーとマトンカレーにした。メニューをみてセット内容を確認する。あれ?なにか変だ。なにかが足りない。

「あの、このセットにラッシーはつかないんですか?」

「オキャクサン、チラシモッテマスカ?チラシアレバラッシーツキマス」

「あ、はい。もってま・・・」

しまった。忘れないように玄関の下駄箱の上に置いたまま、回収するのを忘れていた。チラシにはたしかに、ランチセットは100円引き、ディナーセットにはソフトドリンクのサービス、と書かれていた。

「あ、忘れてきたみたいです・・・。家にはあるんですが」

「ソウデスカ」

ウェイターは厨房へと消える。うかつだった。なにやってんだか。このままではラッシーが飲めない。今宵のディナーはカレーよりむしろラッシーがメインだったというのに。
自分の迂闊さに軽い自己嫌悪を覚えながらバラエティー番組をぼんやりと眺める。忘れ物が多い僕の人生はこういうミスの連続だったといっていい。あの時もそうだった。絶対忘れちゃいけないってわかってたのに忘れて、みんなに迷惑をかけて・・・あの時もそうだった。財布を忘れてレジで恥をかいて・・・。できれば心の金庫に硬くしまって何重にも鍵をかけ、永遠に封じ込めておきたい羞恥の記憶が次々に蘇り、自己嫌悪はその加速度を増す。今回のミスは取り返しがつかないことではない。メニューを見るとラッシーが単品で売られている。飲みたければ注文すればよい。しかし、それをすると負けのような気がする。そう、それは自分への敗北だ。

ヒマそうに立っているウェイターに、僕は意を決して話しかけた。

「あの、すみません。チラシ家にあるんです。家近いんで、取りに帰ってきます」

ウェイターは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐ苦笑いの表情を浮かべ、

「イイデスヨ、マッテマス」

その表情に僕は羞恥心を刺激されたが、かまうことはない。今は自分に勝つか負けるかの瀬戸際なのだ。僕は急いで店のドアをあけ外に飛び出した。家までの距離300m。しかし徒歩がもどかしい。僕は走った。三鷹中央通りを超え、自宅へと一直線、久しぶりに走った。走る風が肌寒い。それもそのはずである。僕はコートを忘れていた。どんだけあわててたんだ自分。
「あ、なにやってんだもう!」
そう思ったが300mである。すぐつくだろうと思ってかまわず走り続けた。あの夏の日の忘れ物も、あの秋の日の忘れ物も、こんなに近く取りにゆける距離だったなら、どんなによかっただろう。自分を苦しめるのは、いつだって自分自身なのだ。自分の心のふとした隙間に、苦しみの源泉が湧き出ているものなのだ。そんなことを思いながら遮二無二走った。

マンションへとたどり着いて二階へと階段を駆け上る。僕の息は相当切れていた。300mでコレである。42.195kmに挑戦しようものならば、10kmたらずで息絶える自信がある。さあ、いざ我が家のドアを開かん、そう思ったとき、

「あ、鍵・・・」

コートのポケットの中に、我が家の鍵はあった。そしてそのコートは、インドラというここから300m東方にあるインド料理屋にあるのである。めざす目標物(チラシ)は、目の前のドアのむこう数十cmのところにあることはわかっているが、どうしようもない。つまり僕は、この短時間の間に、三重の忘れ物をし、それらを取り戻すために行動すればするほど、ドツボにはまっていったのである。この瞬間、僕は自分が日本一の阿呆であることに、確信めいたものを感じた。立ち尽くす、という言葉は、この一瞬のためにある、とさえ思った。

それから店に戻る足取りの重いこと重いこと。ああ僕はこの星空の下(その日はめずらしく三鷹の空に星が見えた)、寒風吹くなか上着もきずに一体なにをしているのだろう。まわりを見てもこんな薄着で外出している人はいない。けれども走って駆け抜けていく気力もない。ただとぼとぼとインドラを目指すその姿はいかにも力弱く、見果てぬガンダーラを求めて旅立った三蔵法師でも、もっと足取りは軽快だったと思われた。

店のドアをあけた僕に、ウェイターが話しかける。

「チラシ、アリマシタカ?」

「あ、はい・・・あることはあるのですけど・・・ごにょごにょ・・・」

口ごもる僕。この状況をどう説明すればいいのだ。一から説明したところで、彼にも僕にもなんのメリットもないように思われた。

「チラシミセテクダサイ」

「すみません、あったけど、もってこれなかったんです」

「??」

席に着くと既にディナーセットはテーブルに並べられていた。相変わらず大きなナンだ。ちぎってカレーをつけて口へと運ぶ。・・・・冷めている。どうやらずいぶん長いことテーブルの上に置かれていたらしい。ああもう、僕の馬鹿馬鹿。

「オキャクサン、チラシナイト、ラッシーダセナイデス」

「はい・・・しょうがないですね」

とどめを刺すようにウェイターが言う。わかってるよ。だからあきらめて黙ってカレー食ってるんだよ。もうほっといてくれよ。

ウェイターはまたヒマそうに立って天井ちかくのテレビを見ている。僕は次々にカレーを頬張った。冷たいナンにさめたカレー。だが不味くない。決して不味くは無かった。この店は、うまい。

食事を終えかけたころ、僕の心は穏やかになっていた。うまいものを食うと人は穏やかになるのものだ、という当たり前のことを僕は改めて体感していた。人は、というより生きとし生けるものは、というほうが正しいかもしれない。人間だってアニマルなのだ。腹が減れば思考はネガティブになるし、満腹になれば満足するのだ。それでよいのだ。


おもむろに近づいてきたウェイターが、トン、と僕の席にグラスを置いた。
ラッシーが入っている。

僕は見上げて彼の顔を見た。その瞬間彼は、

パチッ!

と、ウインクしたのである。

無言だった。二人の間に言葉は無かった。だが、彼の目はこう語っていた。そして僕は心の耳でそれを聞いた。

(お前、チラシみてウチきたんだろ?なにがあったかはしらねぇが、チラシもってこれないみたいだな?でもお前はチラシを持ってる。取りに帰ってしばらく戻ってこないくらいだからな。俺は信じるぜ。お前はチラシを持ってる。だからお前にはラッシーを飲む権利はあるんだぜ。だから遠慮なく飲みな。これはサービスなんかじゃあない。お前の『当然の権利』なんだ。だから礼にはおよばねぇ。俺はお前を信じる。お前にはこれを飲む『権利』があるってことをなッ!)

「あ・・・ありがとうございます」

胸に熱くこみあげてくるものを感じながら、僕は細いストローごしにラッシーを飲んだ。美味い。クリーミーで、それでいて程よく甘く・・・。

飲み終えた僕はもう一度お礼を言って勘定を済まし、店を出た。ひねくれ者の僕は、帰り道にこんなことを考える。
心に聞こえた声は、確かなものではない。僕の幻聴かもしれない。ただ単に、息を切らしながら一人で冷めたカレーを食べる僕に、なんとなく哀れみを感じて施しただけかもしれない。
けれども、そんなことはどうでもいいのだ。たった一杯のラッシーが、美談につながることも、あって良いではないか。彼の善意を、僕は喜んだのだ。そうして満たされたのだ。それでよいのだ。

そういい聞かそうとする僕は、ふと三鷹に住んでいたある作家のこんな川柳を思い出す。

かりそめの
 ひとの情けの
  身にしみて
   まなこうるむも
    老いのはじめや



・・・やはり、僕は、ひねている。


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【告知】トップ画像プチリニューアル・他


当ブログのトップ画像をプチリニューアルしてみました。
いかがでしょうか。

そうそう、リニューアルというと、「榎本よしたか法廷画ファイル」のほうもリニューアルしてみました。こちらは当ブログとは違い、殺人事件や虐待事件などのヘビーな内容が盛りだくさんなので、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。

あと、3月10日から13日までの4日間、海外に取材旅行に行ってきます。
関係者の皆様、その間、急ぎの仕事などが受注できかねますので、ご迷惑かとは思いますがご了承くださいませ。

そういえば「Yoshitaka Novels」もリニューアル中です。
まだまだコンテンツが少ないですが、こちらも充実させていきたいなぁ・・・。
案はたくさんあるのですが、なかなか動けません。
このブログももっと更新したい!

がんばります。

おっともうひとつ。
先日、「人気ブログランキング」というものに参加してみました。
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プロフィール

榎本よしたか

Author:榎本よしたか
フリーランスのイラストレーター兼法廷画家です。書籍やテレビ番組用に絵を描いています。アコースティックギターと歴史雑学が好きです。

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