2012/06/19

3つ前のポストの「ブライトマン」って何?という方もいらっしゃるかと思い、
少々解説(という名の
過去の栄光自慢)をしたいと思います。
その昔、ファミコンソフトに「ロックマン」というアクションゲームがありまして、
僕が初めてそれに触れたのは小学6年生だった1989年、初代ロックマンの続編
「ロックマン2」が新発売されたばかりの頃でありました。
忘れもしないあのお正月の日、お年玉を握って友人の小倉くん(現・俳優)と一緒に
「ミノスケ」というファミコンショップに自転車を走らせたのでした。
当時和歌山市内でゲームを買うとなると「ミノスケ」でした。
ミノスケってなんだよ、しらねーよ誰の名前だよとお思いかもですが、
店長・坂田美之助の本名から取った店名だったのですね。
この社長、ファミコンが出たばかりの頃、「これはビジネスになる!」と思い
店を立ち上げようとしたのですが、周りから「
絶対コケるからやめとけ」と牽制され
書店をはじめることに。
その片隅でファミコンソフトを扱いだしたらこれが大当たりし
あっという間にゲームがメインのお店へと変貌したのですが、
看板は出店当初の「BOOK SHOP ミノスケ」のままだったので、
幼心に「
なんで本屋やのにファミコン売ってるん?」と思ってました。
ちなみにこの社長、その10年後「新たなビジネスチャンスはないか」と野心をもって
和歌山駅を歩いていたところ、二人組の路上アーティストに出会い、
彼らの才能に惚れ込んだ彼は二人のために事務所を設立。
それが現・コブクロのデビューなんですね。いやあ人の人生は数奇なり。
しょっぱなから話題が
思いっきりズレたので戻します。
その「BOOK SHOPミノスケ」でお年玉を握りしめていた僕は、陳列棚の上段におかれた
「
ロックマン2」のパッケージに目を奪われ、
「
な・・・なんてワクワクするイラストなんだ・・・!」
と一目惚れしました。
その後僕はどんなゲームなのかも知らぬままそのソフトを購入します。
今で言う「
ジャケ買い」ですね。年始の子供は総じてブルジョワなもの。
確か4800円だったと記憶しています。(よく覚えてるな僕)
家でワクワクしながらファミコンの電源を入れ、プレイします。
そして、パッケージ通りのグラフィックに感動したのでした。
(当時、パッケージの絵とゲーム画面のイメージが乖離してるゲームが多かったのです)
そして、プレイする内に、その可愛らしく親しみやすいキャラクターたちとは
実に対照的な難易度の高さに音を上げそうになりました。
そう、ロックマンシリーズは、泣く子も黙る「
激ムズゲー」だったのです。
何度も何度も同じステージにチャレンジし、数々の試練を乗り越え、
ようやくボスキャラにたどり着いた頃には体力も心許なく、
あえなく撃沈・・・ということが繰り返されたのですが、
「ああっあそこでダメージさえ受けていなければ!」と自身を反省しては
果敢にも不屈の精神で再度チャレンジするのでした。
(ああ、
この精神が勉強に向いていたなら・・・!)
そうこうしているウチに、ロックマンに対する愛着はかなり深いものになっていきました。
そんな僕も中学生になり、MSXというファミコンだかパソコンだかわからん代物で
BASICというプログラムを組み、ロックマン風のゲームを作ったりしてました。
スプライトというエレメントを使用して単色キャラを動かし、横スクロールさせて
敵を倒す・・・というようなゲームを作っては友達に遊ばせたりしてました。
友達の反応は「なにこれ?ゲーム?自分でつくったん?うわ!グラフィックしょぼ!」
みたいな感じでしたが、そりゃそーだろと思ってました。こっちは独学のトーシロですから。
ある日、コミックボンボンという子供向け漫画雑誌の中に
「
ロックマン4ボスキャラ募集コンテスト」なる文字を発見。一気にテンションが上がりました。
ロックマンシリーズは、2以降、8体のボスキャラクターのアイデアは
一般公募されていたのでした。3の時は気づいたら募集が終わっており、
次こそはと思っていた時に見つけたこの文字、テンションMAXにならないわけがありません。
友人の大江くん(現・海上自衛隊幹部)と一緒に自宅の座敷でアイデアを出しあいました。
ピーンとうまいアイデアが閃いたらいいのになあと思うもそうそううまくいかず。
はっとアイデアが思い浮かぶ時に頭の上に電球がピカーと光る漫画的表現を思い出し
頭に電球があるキャラクターを描いたのでした。
当時蛍光灯のCMで「パール」という商品がテレビでよく流れていたので
なにも考えずに「パールマン」という名前にしましたが、それを思い出す度に
当時の僕に「よく聞け中学生、世の中には
登録商標というモノがあってだな」と
小一時間説教してやりたくなります。
しかも
蛍光灯と電球の区別もついていなかったと見えます。あほか。
5枚ほどアイデアを出して、ハガキに色鉛筆で書きましたが、
その中でも自分の中のイチオシは悪魔をモチーフにした「
アックマン」。
黒を基調として二本の禍々しい触覚を生やしたそのキャラクターは
ロックマン2におけるクールな「クイックマン」の立ち位置を目指せるはず!
そう信じてハガキをポストへ投函したのでした。
その数ヶ月後、相変わらず自宅の2階の子供部屋でファミコンをしていた僕に母親が
「
よしたかー!カプコンさんから電話よーー!」
との掛け声が。
あわてて1階に降り、「もしもし!榎本よしたかです!」と電話に出ると
成人男性の声で「
おめでとうございます!あなたのキャラクターがロックマン4に
正式採用されました!」との声。
僕は・・・震えましたね。あんなにうれしいことは無かった。
僕の・・・!僕のアックマンが、ロックマン4で動きまわるんだ!!!
そう確信しました。ええ、アックマンが採用されたと信じて疑いませんでした。
その数ヶ月後、ファミコンマガジンというゲーム雑誌を書店で立ち読みしていますと、
「ロックマン4ボスキャラ発表!」の文字。ロックマンシリーズのイラストレーター
稲船敬二氏のタッチに描き直されたキャラクターたちがズラリとならんでいました。
手に汗握りながら僕はそれらを目で追いました。
「あれ?
アックマンが無い・・・」
目の前の記事が理解できず、あのカプコンからの電話は夢か幻か、
そんなことを思いながらふとオレンジ色のキャラクターに目が止まります。
「No.025 ブライトマン」
頭が電球のキャラクターがそこにありました。
「ああ!これパールマンか!
ええええーーー!!!??こっちが採用されたの?!」
正直そう思いました。
だって、このキャラ、そんなに力入れて描いてませんでしたから。(バッサリ)
しかし、僕が作ったキャラクターが採用された事実に違いはありませんでした。
後日、ゲームが発売されてから郵送されてきた賞品(ドクターワイリー賞)には、
・金色のロックマン4のカードリッジ
・ロックマンの柄付きタオル
・ロックマンのマニアックな解説本が入っていました。僕は当然ゲームがしたくてロックマン4を手にしてプレイ。
1~3には無かったチャージショットという新たな要素が加えられた本作は
抜群に面白く、何日も連続してプレイしました。
大人になってからPS2で改めてプレイしましたが、その絶妙なゲームバランスに
唸りました。文句なく名作だと思います。
頑張ってクリアすると、エンディングに「YOSHITAKA ENOMOTO」の文字が流れ、
感激したのを覚えています。
▲説明書にも名前が明記されているのがうれしかった。僕がロックマン4のボスキャラクターを作ったということは、中学でもひそかに
知られていたようで、口コミで伝わったのか、ある日塾の先生に
「榎本くん、ゲームつくったんやって?!スゴいなあ!」
と声を掛けられました。ゲームをつくる・・・?MSXでプログラミングしてるアレのことか・・?
と思いましたが、どうも会話が噛み合わず、よくよく聞くと、
僕が
ファミコンゲーム「ロックマン」を作った作者だと思い込んでることがわかりました。
んなわけねーだろあんた大人なのにそんな勘違いすんなよと言ってやりたかったです。
そんなわけで、このロックマン4は僕の中でかけがえのないゲームとして
心に残ったのでした。金色のロックマンのカードリッジは宝物として引き出しに仕舞いました。
そして月日は流れ・・・十数年たったある日、衝撃の事実に触れることになります。
探偵ファイルという情報サイトで
「
この世に8本しかない幻のファミコンソフト」としてロックマン4の金色のカードリッジが
紹介されていたのです。
箱、説明書無しのそのソフトは秋葉原で59万円で取引されているとの記事でした。
ご、59万円・・・!!!僕は思わず、引き出しを開けました。そこには当時のままのロックマン4がありました。
宝物にしていたのでもちろん箱・説明書付き。全ては当時のまま。
これは・・・ゴクリ・・・。
いや、売りませんよ。そんな気は毛頭無いのですが、いやはやおもちゃの世界の
プレミアってスゴいもんだなぁと実感したのでした。
大人になってイラストレーターになった僕は、たまに営業先でこの話をすると
「ええ!?ブライトマン描いたの榎本さんなんですか!」
「いやーロックマン僕もハマってましたよー!」
といった反応をもらえるので嬉しいです。愛されてるんだなあロックマン。
ちなみに僕は何度もクリアしてその面白さを身にしみてわかっているのですが
当時友人にすすめても、
「ロックマン・・・あれ難しすぎるから俺はええわ・・・」
という感じで熱中してる人がいなかったものですから、
大人になってからのこの反応はひとしお嬉しく思うのです。
ちなみに近年、任天堂wiiで「ロックマン9」が発売されましたが
こっちはなぜかチャージショットやスライディングといった能力が省略されており
シリーズの中でもダントツの難易度のゲームに仕上がってました。
正直、ロックマンシリーズを制覇していた僕も、1体のボスキャラも倒せず、
「9・・・あれは難しすぎるからええわ・・・」
という心境になってしまいました。
チャレンジ精神が衰えたのでしょうか・・・そう思うと少し寂しい気もします。
さて、あれから21年が経ちましたが、家宝は相変わらずです。
ひさしぶりにひっぱりだして写真をパチリ。
こうして思い出にふけりながら
過去の栄光自慢日記を書いたのでした。おしまい。
あ、最後にひとつ!真偽の程はわかりませんが、ロックマン4金色のカードリッジの
偽物がオークションで発見されたとの情報がありました。
本物は写真のように、緑のカードリッジの表面だけ金色メッキが施されており
差込口等は緑のままです。くれぐれも悪質な手口にひっかかりませぬようご用心を。
※上記エピソードをエッセイ漫画「トコノクボ」にも描いてみました。
よろしければリンクよりご覧ください。