2013/09/19
【感想】映画「風立ちぬ」とそのレビューを観て思ったこと。
観てきました。「風立ちぬ」。大作だけにネット上でのネタバレが怖いので公開初日に
「零戦を設計した人が主人公」と言う以外の情報ナシの状態で足を運びました。
※以下、ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。
事前の想像としては、
・監督の思惑としてあえて零戦での戦闘シーンは無いんだろうな。
・大人が主人公だから恋愛要素はあっても結ばれることは無い儚い物語なんだろうな。
・堀越二郎の人生の最も華やかな部分が物語の舞台なんだろうな。
といった予想をしていましたが、戦闘シーン無しという一つしか当たりませんでした。
恋愛はめちゃ成就してるし、まさかの結婚までトントン拍子。
そして堀越二郎の半生が語られるのかと思いきや、これは堀越二郎の名を語った別人の話でした。
一度目の感想としては、所作のキレイな人間とは美しいものだなーという感じ。
子供時代から、目がさめた時に布団の脇には朝着るために綺麗にたたまれた衣類があり、
言葉遣いも大正時代のそれはまるで書き文字そのままのような丁寧さです。
その他の登場人物たちの立ち振舞いもみなさん非常に上品です。
話題になっていた主人公の声優、庵野秀明さんの声は特に気になりませんでした。
やたら「棒読みだ」と酷評されることが多いようですが、僕はそうは思わなかったです。
ただ、今までのアニメの声と表現の仕方が違うだけであって、
その違和感が無いかといえばそりゃあるんですけど、今のアニメの声優の演技が是かというと、
それも違うと思うんですよね。
少なくとも「アニメキャラの声は専門家である声優がすべき」の声には賛成できないです。
僕の好きなアニメ「じゃりン子チエ」の声は大阪の芸人さんが多いし、
みんなハマっていてとても良かったですから。
やたらと「大げさな演技」を良しとするアニメ業界のなかで「物静かな技術者」の声を
今までと違う文脈の演技で見せた庵野さんの声への凄まじい違和感から
「棒読みだ」の声が上がってるんだろうと推測してます。
僕個人的には「ああ、こういうしゃべり方の人なんだな」という感じです。
本作は、堀越二郎という人を実に特異な人物に見えるように描かれてるので、
他の人とは空気が違う「特異なしゃべり方」をする人を採用したチョイスは
むしろ正解だったと思います。さて、その堀越二郎、色んな人のレビューを見ていると、
「妹の言うように薄情者」
「病気の妻も思いやれない人でなし」
「戦争に加担しているという葛藤もない人間性」
などと評されたりしているようですが、それはこの主人公の内面描写がなされていないからであり、
具体的に「僕はこう考えて行動している」ということがわかる心理的根拠が明示されていないので
主人公の行動に色んな受取り方が発生してしまうからではないかなと思いました。
そしてそれは意図的になされているんだろうなあと感じます。
唯一明確に描かれているのは、カプローニの「ピラミッドのある世界と無い世界のどちらが良いか」
という問いかけに対して、
「僕は、美しい飛行機がつくりたいだけです」
という答えるくだり。本当に彼の目的は美への追求それだけであり、他に対する人並みの感覚は
持ち合わせていないかのように感じる点が多々ありました。
ここで、「監督は主人公と自分を重ねあわせ、夢だけを追ってきた自分の人生を肯定しているのだ」
的な意見が数多くみられたのですが、「え??そうかなぁ」という感じです。
僕は別に監督と堀越二郎を重ねては観なかったです。
宮崎駿という方はキャラクターとして上場しているようなところがあって、この人はああだこうだと
弄りやすい対象だからこういう論が多くなるのでしょうね。
ちょっと作品を楽しむ際に「監督」を意識しすぎているんじゃ・・と感じる意見がやたら散見しました。
「監督が人格の透けて見えるほどの有名人であるから、この作品はこうだ」というのは
色眼鏡のような気がするんですよね。監督の有名無名と作品の面白さは関係しないと思うんです。
それもひとつの楽しみ方といえばそうなんでしょうけれど。
などと否定的なことは言うものの、ネットで色んなレビューを読むのは楽しいものでして。
映画の楽しみ方は僕は2つあると思っていて、ひとつは作品事態を楽しむこと、
もうひとつは他の人の感想を楽しむことです。優れたレビューは二次創作をみるように面白いし、
「なるほどそういう見方があるのか!」「へえそれは知らなかった」と知識も増えますね。
和歌山に帰省したとき、母が意外にも観たがったので映画館に連れて行きました。
僕は二度目でしたが、知識が増えた分、一度目とは別の楽しみ方ができました。
さて、僕は冒頭に「堀越二郎の名を語った別人の話」と書きました。
一度目を観た後に調べて初めて知ったのですが、本作は堀越二郎と、
同年代を生きた作家、堀辰雄の人生と彼の作品をミックスさせた作品なんですね。
(だから一度目を観た時は「あれ、堀辰雄でてこなかったなぁ」と思いました)
実在の人物堀越二郎の妻は菜穂子なんて名前じゃないし、そもそも戦闘機の設計を任された時は
既に見合結婚していたそうです。
で、堀辰雄の人生や作品中に出てくる結核の少女との悲恋の物語をくっつけて堀越二郎を描いている。
これって、アリなんでしょうか・・・?
やたら堀越二郎と宮崎駿について語っているレビューは見かけますけど、
この映画の脚本の作り方について異議を唱えている人は見かけないように思います。
僕はハッキリ言ってナシだと思います。
つい30年前まで存命だった方の半生が、架空の物語と合体して語られることに対する違和感。
たとえば僕が今後の人生で(ないでしょうけど)なにか人類史に残る偉業を成し遂げたとして、
僕が死んだのち、30年経って、全然関係無い同時代に生きた作家(たとえば悠介とか・・?)の作品と
ミックスされた脚本で「これが榎本よしたかの半生でござい!」と映画化されたとしたら
僕だったら絶対嫌です。
そんなことするなら別名にして別人として描いて欲しい。
(火垂るの墓やはだしのゲンがそうであるように)
しかも妻の名前も全然違っていて、出会いのシチュエーションも違い、結核で死んじゃったりしたら、
あの世で観て「おいおいそん時まだ妻死んでねーし!ていうかそれ誰だよ!」とツッコミを入れるに
違いありません。
が、しかしそれを語っているレビューが見つからない。亡くなった人間の人生は自由に改変して
語っても許される空気が日本に流れているということでしょうか。そう考えるとちょっと不思議です。
僕が知る限り著名人では小飼弾のレビューだけがその部分に触れ、
「素材として用いるには「生気」が「枯れて」歴史化が完了するまで待つべきだ」と語られていました。
戦国武将などはかなり改変されたりデフォルメされたりして様々な作品の素材と化していますが、
遺族がこれに文句を言ったりしたとはあまり聞きません。
NHKドラマ「龍馬伝」の岩崎弥太郎の描き方に三菱がクレームを入れたという話は有名ですが、
幕末だとそういうことが起こりうるということでしょうか。
としたら小飼弾の言う「生気が枯れる」のは死後150年ではギリギリ足りなそうです。
信長や義経まで行くと美少女化したりチンギスハンになってても許されてるっぽいので
実在の人物が自由に「素材」として使えるようになるには死後400年くらい必要かもしれません。
そんなわけで、僕にとって「風立ちぬ」は、面白い映画であると同時に、
「実在する人物を元に作品を作る場合、その人生の改変はどこまで許容されるのか」について
考えるキッカケになった作品でした。

関係ないけど、妻がスーパーで見つけたとシベリアを買ってきました。
いなげやでこんなのが売ってるのは風立ちぬ効果でしょうか。
劇中でみたとおり、あんまりおいしくなさそう・・・。
スポンジケーキに羊羹をサンドしたお菓子だそうです。
妻曰く「さらっとした食感でおいしかった~」んだそうです。意外な感想だなソレ。