2009/03/08
【エッセイ】インドカレーと忘れ物

やや驚いたのはナンの大きさ(約50cm)だったが、もっと僕を喜ばせたのは食後のラッシーのうまさだった。ラッシーという飲み物を数年前、和歌山で初めて飲んだときの感想は、「なにこの水混ぜる割合まちがえた濃厚カルピス・・・」だったのだが、慣れればなかなかイケる。しかしインドラのラッシーのうまさはその想像を超えたところにあった。あのクリーミーな口ざわりに決して主張しすぎないあのほどよい甘さ。僕は小さいチラシをみながらランチセットを頼んだ際に口にした、あのラッシーを飲み終えた後の恍惚さを思い出していた。そして思った。
「あれをまた飲みたい!」
今夜の夕食はきまった。夜8時過ぎ、空腹を抱えた僕は再び家のドアを開け、鍵をかけ、それをコートのポケットに入れて階段を下りた。目的地はインドラ、我が家から約300mほど東方にあるインド料理屋だ。意気揚々と徒歩で向かう。口の中はすっかりインドカレーを受け入れる準備万端、今夜はそれ以外のメシなど考えられねぇぜと言わんばかりの心意気でインドラのドアを開く。
「イラシャイマセー」
インド人ウェイターの声が広いとはいえない店内に響く。先客が二人。あとはガランとした店内に、天井ちかく設置されたテレビがバラエティー特有の笑い声を発していた。まあ、平日だし、こんなもんかと思い、入り口近くの席に着くと、まもなくウェイターがお冷を持ってきた。
全然関係ないが、食事の前に出るこの水のことを「お冷」というのにはこんな変わった由来があるらしい。
文明開化の明治時代、外国人むけの西洋料理屋が日本にたくさん開店し、客として入ってきたイギリス人たちが給仕に向かって「Look here!(おーい、の意)」と呼ぶと、給仕が水を持って注文を聞きにくるというシステムを目の当たりにした日本人がそのまねをして、「ヒヤ(here)おくれ」というようになり、それに丁寧語の「お」をつけて「お冷」という呼び方が東京を中心に全国に広がったという話。、意外にも舶来モノの呼び方でしたというオチである。・・・ホントかどうかは神のみぞ知る、だが。
お冷を置いたウェイターに注文を言う。ディナーセットはランチと違って二種類カレーが選べるらしい。僕は野菜カレーとマトンカレーにした。メニューをみてセット内容を確認する。あれ?なにか変だ。なにかが足りない。
「あの、このセットにラッシーはつかないんですか?」
「オキャクサン、チラシモッテマスカ?チラシアレバラッシーツキマス」
「あ、はい。もってま・・・」
しまった。忘れないように玄関の下駄箱の上に置いたまま、回収するのを忘れていた。チラシにはたしかに、ランチセットは100円引き、ディナーセットにはソフトドリンクのサービス、と書かれていた。
「あ、忘れてきたみたいです・・・。家にはあるんですが」
「ソウデスカ」
ウェイターは厨房へと消える。うかつだった。なにやってんだか。このままではラッシーが飲めない。今宵のディナーはカレーよりむしろラッシーがメインだったというのに。
自分の迂闊さに軽い自己嫌悪を覚えながらバラエティー番組をぼんやりと眺める。忘れ物が多い僕の人生はこういうミスの連続だったといっていい。あの時もそうだった。絶対忘れちゃいけないってわかってたのに忘れて、みんなに迷惑をかけて・・・あの時もそうだった。財布を忘れてレジで恥をかいて・・・。できれば心の金庫に硬くしまって何重にも鍵をかけ、永遠に封じ込めておきたい羞恥の記憶が次々に蘇り、自己嫌悪はその加速度を増す。今回のミスは取り返しがつかないことではない。メニューを見るとラッシーが単品で売られている。飲みたければ注文すればよい。しかし、それをすると負けのような気がする。そう、それは自分への敗北だ。
ヒマそうに立っているウェイターに、僕は意を決して話しかけた。
「あの、すみません。チラシ家にあるんです。家近いんで、取りに帰ってきます」
ウェイターは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐ苦笑いの表情を浮かべ、
「イイデスヨ、マッテマス」
その表情に僕は羞恥心を刺激されたが、かまうことはない。今は自分に勝つか負けるかの瀬戸際なのだ。僕は急いで店のドアをあけ外に飛び出した。家までの距離300m。しかし徒歩がもどかしい。僕は走った。三鷹中央通りを超え、自宅へと一直線、久しぶりに走った。走る風が肌寒い。それもそのはずである。僕はコートを忘れていた。どんだけあわててたんだ自分。
「あ、なにやってんだもう!」
そう思ったが300mである。すぐつくだろうと思ってかまわず走り続けた。あの夏の日の忘れ物も、あの秋の日の忘れ物も、こんなに近く取りにゆける距離だったなら、どんなによかっただろう。自分を苦しめるのは、いつだって自分自身なのだ。自分の心のふとした隙間に、苦しみの源泉が湧き出ているものなのだ。そんなことを思いながら遮二無二走った。
マンションへとたどり着いて二階へと階段を駆け上る。僕の息は相当切れていた。300mでコレである。42.195kmに挑戦しようものならば、10kmたらずで息絶える自信がある。さあ、いざ我が家のドアを開かん、そう思ったとき、
「あ、鍵・・・」
コートのポケットの中に、我が家の鍵はあった。そしてそのコートは、インドラというここから300m東方にあるインド料理屋にあるのである。めざす目標物(チラシ)は、目の前のドアのむこう数十cmのところにあることはわかっているが、どうしようもない。つまり僕は、この短時間の間に、三重の忘れ物をし、それらを取り戻すために行動すればするほど、ドツボにはまっていったのである。この瞬間、僕は自分が日本一の阿呆であることに、確信めいたものを感じた。立ち尽くす、という言葉は、この一瞬のためにある、とさえ思った。
それから店に戻る足取りの重いこと重いこと。ああ僕はこの星空の下(その日はめずらしく三鷹の空に星が見えた)、寒風吹くなか上着もきずに一体なにをしているのだろう。まわりを見てもこんな薄着で外出している人はいない。けれども走って駆け抜けていく気力もない。ただとぼとぼとインドラを目指すその姿はいかにも力弱く、見果てぬガンダーラを求めて旅立った三蔵法師でも、もっと足取りは軽快だったと思われた。
店のドアをあけた僕に、ウェイターが話しかける。
「チラシ、アリマシタカ?」
「あ、はい・・・あることはあるのですけど・・・ごにょごにょ・・・」
口ごもる僕。この状況をどう説明すればいいのだ。一から説明したところで、彼にも僕にもなんのメリットもないように思われた。
「チラシミセテクダサイ」
「すみません、あったけど、もってこれなかったんです」
「??」
席に着くと既にディナーセットはテーブルに並べられていた。相変わらず大きなナンだ。ちぎってカレーをつけて口へと運ぶ。・・・・冷めている。どうやらずいぶん長いことテーブルの上に置かれていたらしい。ああもう、僕の馬鹿馬鹿。
「オキャクサン、チラシナイト、ラッシーダセナイデス」
「はい・・・しょうがないですね」
とどめを刺すようにウェイターが言う。わかってるよ。だからあきらめて黙ってカレー食ってるんだよ。もうほっといてくれよ。
ウェイターはまたヒマそうに立って天井ちかくのテレビを見ている。僕は次々にカレーを頬張った。冷たいナンにさめたカレー。だが不味くない。決して不味くは無かった。この店は、うまい。
食事を終えかけたころ、僕の心は穏やかになっていた。うまいものを食うと人は穏やかになるのものだ、という当たり前のことを僕は改めて体感していた。人は、というより生きとし生けるものは、というほうが正しいかもしれない。人間だってアニマルなのだ。腹が減れば思考はネガティブになるし、満腹になれば満足するのだ。それでよいのだ。
おもむろに近づいてきたウェイターが、トン、と僕の席にグラスを置いた。
ラッシーが入っている。
僕は見上げて彼の顔を見た。その瞬間彼は、
パチッ!
と、ウインクしたのである。
無言だった。二人の間に言葉は無かった。だが、彼の目はこう語っていた。そして僕は心の耳でそれを聞いた。
「(お前、チラシみてウチきたんだろ?なにがあったかはしらねぇが、チラシもってこれないみたいだな?でもお前はチラシを持ってる。取りに帰ってしばらく戻ってこないくらいだからな。俺は信じるぜ。お前はチラシを持ってる。だからお前にはラッシーを飲む権利はあるんだぜ。だから遠慮なく飲みな。これはサービスなんかじゃあない。お前の『当然の権利』なんだ。だから礼にはおよばねぇ。俺はお前を信じる。お前にはこれを飲む『権利』があるってことをなッ!)」
「あ・・・ありがとうございます」
胸に熱くこみあげてくるものを感じながら、僕は細いストローごしにラッシーを飲んだ。美味い。クリーミーで、それでいて程よく甘く・・・。
飲み終えた僕はもう一度お礼を言って勘定を済まし、店を出た。ひねくれ者の僕は、帰り道にこんなことを考える。
心に聞こえた声は、確かなものではない。僕の幻聴かもしれない。ただ単に、息を切らしながら一人で冷めたカレーを食べる僕に、なんとなく哀れみを感じて施しただけかもしれない。
けれども、そんなことはどうでもいいのだ。たった一杯のラッシーが、美談につながることも、あって良いではないか。彼の善意を、僕は喜んだのだ。そうして満たされたのだ。それでよいのだ。
そういい聞かそうとする僕は、ふと三鷹に住んでいたある作家のこんな川柳を思い出す。
かりそめの
ひとの情けの
身にしみて
まなこうるむも
老いのはじめや
・・・やはり、僕は、ひねている。
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これからもご活躍を応援しております。
2016/06/17 08:43 by えいすん URL 編集