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【日記】41歳の誕生日と本厄だった親父との思い出話。

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家族に誕生日を祝ってもらいました。41歳。娘からはラプンツェルの絵、妻からはまさかのポプ子Tシャツという謎チョイスなプレゼントでした。みんなでバースデーソングを歌ってもらって幸せな気持ちに。このところ塞ぎ込みがちだったのですが元気がでました。家族って本当にありがたい。

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こちら娘が描いた絵。ラプンツェルのお城だそうです。パパの好きな色だけで塗ったんだよーと得意げに話してくれました。なるほど数日前から「パパの好きな色はなぁに?」と何度も聞いてきたのはこのためか、と合点がいきました。誠にういやつです。

僕が生まれた日は和歌山でめずらしく雪が降っていたと母から聞きました。寒いのは苦手だけど冬が嫌いじゃないのは冬生まれだからでしょう。今日、窓の外は白銀の世界です。誕生日に雪が積もっているのは僕の記憶では40年でたぶん初めて。今年は本厄だそうだから身体に気をつけようと思います。後回しにしてる人間ドックにもいかねば。

本厄といえばーーー親父がはじめて脳梗塞で倒れたのもたしか本厄の年だったと聞いているので、今年は脳ドックも受けておこう。親父はその後、半身まともに動かなくなり飲酒量が増えて行ったそのターニングポイントだったそうだから、同じ轍を踏んではならないと強く思います。

親父は元々は働き者だったらしく、脳梗塞の後遺症は本人一番辛かったことだろうと思います。僕には酒を飲んで暴れていた記憶しかないけど、いまふと思い出したのは小学校低学年のころ、親父がどこからか一本の丸太を持って帰ってきて、ノミとカナヅチとカンナを使って一隻のタンカーを作ったことがありました。

その木彫りのタンカーは全長120cmほどあり、精巧に作られていたので幼心にスゴいと思った記憶があります。親父に模型を作る趣味はなかったはずですが、母親曰くは「身体が思うようにうごかないから好きな船を作ることでリハビリしてたのよ」とのこと。
本人にも自慢の逸品だったらしく居間に長らく飾られていました。船内を走るパイプは太い針金を火で炙って曲げ、ブリッジの窓も一つ一つ削り、船首下部のバルバスバウの球状もうまくシンメトリックに形作られていて、よく一本の丸太からこんな船を作れたものだな、と今になっても思います。今僕に作れと言われて材料を渡されても、ちょっと自信がない。

船名は兄と僕の名前を一字づつ取って「○祥丸」と書かれていました。親父なりになにか思いを込めたのでしょうか。親父が倒れた歳と同じ年齢になった日の夜、彼と同じ酒”白鶴”を嗜みながらふとそんな昔話を思い出したのでした。

脳ドック、忘れないようにしなければ。家族と自分のために。

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榎本よしたか

Author:榎本よしたか
フリーランスのイラストレーター兼法廷画家です。書籍やテレビ番組用に絵を描いています。アコースティックギターと歴史雑学が好きです。

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